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日本の美しい山を残していくためにローカルリーダー福田六花が目指すもの

富士山麓を拠点にシンガー&ランニング・ドクターという多彩な肩書きを持つ福田六花さん。幅広いフィールドで精力的に活躍し続ける福田六花さんのルーツとこれからについてうかがいました。

 

福田さんは学生の頃からスポーツマンだったかと思いきや、運動を始められたのは30代になってからと伺いました。それまではどのように過ごされていたのでしょうか。

24歳の時に東京の大学病院で医者になったんですが、当時は激務でほとんど休みがなくて、自宅のアパートに帰って寝られるのなんて、週1回くらい。ストレスが溜まるたびに暴飲暴食していたもんだから、そんな生活が続いて6年経った頃には93kgにまで体重が増えちゃって。健康からはかけ離れてました。

 

でも30歳で長野県の八ヶ岳麓にある病院に2年間出向することになって、それが大きな転機になりました。新しい職場では人間関係も良好だったし、何より自然に囲まれた暮らしが自分の肌に合っていたんです。それまでの激務から解放されて時間に余裕ができると、マウンテンバイクに乗ったり、プールで泳いだり、冬は仕事終わりにスキーに行ったりもしました。あと農家の患者さんが多かったから美味しい野菜をもらうことも多くて、周囲のおかげで少しずつ健康を取り戻していったんです。

 

ランニングを始められたのもその頃だとか。

 

病院のスタッフ50人くらいで諏訪湖のハーフマラソンに出るのが恒例行事で、ある日同僚からそれに「出てみない?」と言われて。当時は多少運動するようになったとはいえ、まだ体重も80kgくらいあったし、「無理だよ!」と思いました。でも一生に一度だし、やってみようと思ってトライしました。

 

結局3、4回しか練習せずに本番に臨んだら、ものすごく辛かった。でもなんとか制限時間ぎりぎりで走りきったんです。そしたら、これまで感じたことのない達成感、満足感、爽快感が身体中を駆け巡って。「こんな感情あったんだ…」と驚きました。一緒に走った病院のスタッフの中で、順位もタイムも下から数えた方が早かったから、もう少しまともに走れるようになりたいと思うようになったのも、ランニングに夢中になったキッカケです。

 

 

長野で過ごした後、2002年に富士山麓(山梨県富士河口湖町)に移住されたのもランニングが理由にあるのでしょうか。

2年間の出向が終わって長野から東京に戻ったんですけど、その頃にはもう「自然が多い場所に暮らして、走るんだ」という思いに取り憑かれていました。次の勤務先を探し始めたら、たまたま河口湖にある病院からオファーが来ました。はじめは1、2年のつもりで移り住んだんだけど、気に入っちゃって。ランニングライフが充実したし、なんていったって湖畔や山の中って気持ちいいじゃないですか。

 

トレイルランを始められたのも、富士山麓という環境が影響していそうですね。

トレイルランを始めたのは2003年頃です。当時、河口湖に住んでいたアウトドア・エッセイストとよくロードランニングをしていました。ある時山へ連れて行ってもらって走ったら、これが楽しかったんです。それから夏はトレイル、冬はマラソンと、年間約40のレースに出るようになりました。

 

そんな調子でレースを楽しんでいたら、雑誌やメディアから声がかかりはじめました。モデルをしたり、企画で走ったり、連載を持ったり、いろいろ経験させてもらっているうちに、とあるところからトレランレースを作るからプロデュースしてくれないか、とオファーがあったんです。それが、富士山麓トレイルランで、自宅の後ろにある足和田山を走る18kmのコースです。

 

大会がスタートした2007年頃は、トレイルランがまだマイナースポーツだった時代です。それから少しずつ人気に火がついて、富士山麓エリアだけじゃなく全国のレースのプロデュースの依頼が来るようになりました。

 

 

レースをプロデュースするときのこだわりを教えてください。

やるからには自分の色を出したいから、コンセプトからコースの難易度、参加賞まで細かく考える。実際にその街へ足を運んで、地域に合った形を実現するのが難しくもあり、やりがいです。

 

現在は介護老人保険施設の施設長をつとめ、地域医療に貢献していますよね。福田さんの影響でランニングを始めた患者さんも多いのでは?

年配の患者さんを診ていると、スポーツや農業、土木をやっている人は体が強いのがよく分かります。

 

ランニングを普及させることで、生活習慣病になる人が減って、健康な人が増えると思っていて。私がマラソンやトレランレースを作るのは、走ったことがない人に走ってもらいたいからです。そのためには、ハードルが低くて、楽しいレースが必要。楽しかったら、また走ろうという気持ちになるはずですし。

 

福田さんといえば、富士山麓エリアの登山道整備・清掃活動でも知られています。始められたきっかけはなんでしょうか。

私がレースを作る時、コースになるのはすでに整備されたところばかりではないんです。倒木があったり、岩が転がっていたり、ゴミが大量に落ちていたり、ハイカーやランナーにとって危険になるものも多いんです、でもそれらを整備するのにはお金がかかるから、なかなか自治体も動かず、自分たちでやるしかなかったんです。

 

レースをプロデュースするからには、せっかく来てくれた人に美しい景色を見てもらいたい。倒木を切ってどけたり、ゴミを拾ったり、全て手作業だったから時間はかかったけど、荒れ果てた登山道がきれいになると、地元のハイカーにも喜ばれて。「レースが始まったら、この山きれいになったね」と感謝されるようにまでなりました。

 

そんな整備・清掃活動を、今や250名ものメンバーがいるコミュニティ「Team RICKA」で行なっているとか。

 

はじめは気持ちよくレースをするための整備・清掃活動でした。でも、せっかくこの地でレースをさせてもらっているから、この地域のためになることをしたい。こんなに美しくて素晴らしい山を世界中の人に届けるために、やれることあるよね、と少しずつ整備するエリアを拡げていったんです。

 

 

ゴミ拾いを継続していると自然と仲間が増えていったから、チームにしようと「Team RICKA」を立ち上げました。今ではSNSで呼びかけると、メンバーがゴミ拾いやレースのボランティアスタッフとして集まってくれる。2021年からは環境省ともコラボレーションをして、これまでは金銭的に手が回らなかった山も整備できるようになってきました。

 

私はこの富士山麓エリアに住んでいるから、これからもここの山々を管理していきたい。

 

日本は国土の7割以上が山です。山は私たちの大事な財産。でも人がメンテナンスに入らないと荒れ果てちゃうから、やっぱり人の力が必要だと思います。

 

 

今は私が主体となって整備や清掃をしているけれど、これからはリーダーを何人も作っていきたい。私がいなくなったら終わりじゃなくて、次の世代に繋げていかないと、と思うんです。山の有り難みを知っている地元のランナーがレースを作って、「この山は自分たちが守るんだ」っていうムーブメントを生み出していってほしい。それが日本中に広がったらいいなって。

 

福田 六花(ふくだ りっか)

 

医師、プロミュージシャン、ランナーという異色の肩書きを持つ。

 

現在は富士河口湖町の介護老人保健施設長を務める。高校時代から始めた音楽活動を、多くのレースに出場し、全国のマラソン、トレランレースをプロデュースする。登山道の整備・清掃を主に行うコミュニティ「Team RICKA」を率いる。 

 

https://www.instagram.com/rickafukuda/

 

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