昨夜は3,001mある標高のせいかあまり良く眠れなかったうえ、日の出のすばらしい時間を逃すまいと夜明け前に起きた私たちは疲れていました。私たちはまるで火山のようにじっと、静かに満たされた気持ちでそこに座っていました。
私たちは今オマロ(Omalo)からカズベギ(Kazbegi)までを走っています。ハイカーの足だと10日間かかる距離を、途中の写真撮影も含めてほぼ3日間に予定を凝縮しました。今ちょうどその半分を終えたところです。
すべての旅程を合わせると、11日間のランニングで335㎞の距離を走り、20,000m以上の累積標高を登ります。最中は辛いことの方が多くても、あとで良い思い出話になる、そんな部類の中でも一番の旅行だといえるでしょう。
私たちは、実に壮大な景色を眺められる場所にいながらも、最も美しい日の出と出会うことはできませんでした。でもすばらしい経験は計画していない瞬間にこそできるもの。カメラマンを連れて、コーカサスの大自然を自ら駆け抜ける山岳ランニングの場合は特にそうでした。夕日の撮影は、次の宿に着くのが暗くなる日にだけ行いました。ジョージアで泊まった宿のオーナーたちは、日の出に執着する気持ちがわからないようで、私たちの予定に合わせて朝食を午前8時前に用意してくれることはありませんでした。それでも、出してくれる朝食は素晴らしいものでした。
カズベク山の標高5,033mの山頂に腹を空かせたサメのように覆いかぶさっていた暗い雲は消え去っていたので、カズベク山の氷河を走って、マルシュルートカ(ジョージアのミニバン)の出発時間に間に合うように戻ってくることができました。
そこで何をしていたかって?――そうですよね。私は、毎日約40キロメートルのランニング中に、同じ質問を何度も自問していました。
私はここ数年、この種の旅を毎年行っているのですが、そのようなとき私は落ち着かなくなって、基本に戻りたくなります。合言葉は「食べる。眠る。走る。それを繰り返す」。感謝の気持ちを最大限に高め、人為的ストレスを最小限に抑えると、創造性が生まれます。渓谷で道に迷い、高い山岳地帯の山道で孤独を感じ、人里離れた村々では、温もりに触れました。地元の人たちは温かいお茶とともに、外国から来た私たちをまるで古くからの友人のようにもてなしてくれました。
高地を走ることで身体に非常に大きな負荷がかかること、また想像を絶する距離を、決して恵まれているとは言えない環境で走ることは、自分を振り返るきっかけとなります。
自分自身の限界に挑戦すると、内なる発見をしたり、視野を広めたりすることにつながります。山に囲まれた環境は、このようなプロセスに不可欠とは言わないまでも、とても有益です。自然のありのままの堂々としたたたずまいは、ほかでは滅多に感じることのできない方法で、私たちを開眼させるきっかけとなってくれるのです。